発足当初のECBは困難な状況に直面しても時制が利いていた Krisztian Bocsi-Bloomberg/GETTY IMAGES


<デフレ懸念という風車と戦うドン・キホーテよろしく、ずるずると金融緩和を続けるのはおかしい>


主要国の中央銀行総裁らを集めて、毎年夏に米ワイオミング州ジャクソンホールで開催されるジャクソンホール会議。今年のテーマは何と「ダイナミックなグローバル経済の育成」というものだった。


これは重要なテーマではある。しかし6月下旬に開かれたECB(欧州中央銀行)の年次フォーラムでも、金融政策はそっちのけで「先進国における投資と成長」が論議されたとなると違和感を抱かざるを得ない。


中央銀行の総裁が成長や投資といった問題を論じるのは悪いことではない。だが中央銀行の独立性が担保されているのは、独自の目的があるからだ。それは「物価の安定」。それなのになぜ主要国の中央銀行総裁らが、がん首そろえて管轄外の問題を話し合うのか。自分たちの現在の金融政策をうまく説明できないから——どうやらそれが答えらしい。


今の条件下で、金融政策の運営は難しくないはずだ。特にECBは発足当初よりはるかに恵まれた状況にある。


99年1月にユーロ圏が誕生すると、ECBはその金融政策を一手に担うようになった。当時は97年のアジア通貨危機と98年のロシアのデフォルト(債務不履行)の余波で、世界の金融市場は大荒れに荒れていた。


株式市場の先行きに対する投資家の不安レベルを示すVIX指数(別名「恐怖指数」)は、現在は12前後だが、98年8月には44に達し、ユーロ導入後の数年間は16~45で推移していた。ユーロ圏の発足当初、失業率は低下傾向ながら10%近くにあり、99年は年間を通じて現在の9.3%よりも高かった。


【参考記事】仮想通貨バブルを各国中央銀行は警戒せよ

「正常化」に舵を切れ


金融政策の観点からは、金融危機の負の遺産であるデフレ懸念に対処する必要があった。99年当時、インフレ率は2%に届かず、消費者物価指数の前年同月比は1%前後。金融政策にとって重要なこの2つの指標は現在のレベルとほぼ同じだが、金融市場は当時のほうが今よりはるかに混乱していた。


つまり、99年にはインフレ率が目標よりやや低く、失業率は現在より高く、投資家心理は冷え込んでいた。にもかかわらず、ECB理事会は量的緩和やゼロ金利を検討しなかった。発足後最初に発表した主要政策金利は2%だ。


その後、経済の悪化に伴い1.5%まで引き下げられたものの、低金利政策は数カ月しか続かず、99年末には再び2%に引き上げられた。翌00年後半にはインフレ率の上昇はごくわずかだったが、ECBは政策金利を3.75%に引き上げた。




元の記事はこちら==>http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/post-8484.php

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