助監督として映画「愛のコリーダ」に携わり恩師・大島渚監督(2013年死去)と出会ったのは25歳のときだった。1983年に「十階のモスキート」で映画監督デビュー。キャリアは30年を超えた。

 大島監督から教わったことは「人間との付き合い方と酒の飲み方」だという。

 「誰と会ってどういう関係性を持つのか、人と人の間に生まれるドラマをどう発見するのか、ということを教わった気がしますね」

 映画監督としての歩みは、挑戦の連続だった。近年では09年に映画「カムイ外伝」で初のアクション時代劇に挑んだ。持ち前の反骨精神で、社会から取り残されスポットライトが当たらないような人物の視点からドラマを紡いできた。

 「基本的な姿勢はこれからも変わらないです。ただ、困難な立場の人間を描くだけではなく、一方で自分の好きな『笑い』も追求していきたいですけどね」

 そして挑戦の歴史がまた1ページ。12日に東京・青山劇場で初日を迎えた舞台「銀河英雄伝説 第四章 後篇 激突」では、2度目となる舞台演出に挑む。原作はシリーズ累計1500万部突破の田中芳樹氏のSF小説。銀河帝国と自由惑星同盟という2つの勢力が、銀河の覇権を懸けて広大な宇宙を舞台に戦いを繰り広げるスペースオペラだ。

 同公演の多賀英典プロデューサーから演出のオファーを受けたのは3年前だった。

 「映画畑の人間も驚いていましたし、ある意味ギャンブルですよね。手慣れた舞台の演出家はいるわけですから」

 出演は河村隆一や間宮祥太朗を中心に、中川晃教、Kis−My−Ft2の横尾渉と二階堂高嗣ら人気・個性派キャストがズラリと並ぶ。これまで手がけてきた作品とはまったく違う英雄叙事詩で、しかも商業演劇というフィールドへの挑戦。当然、一筋縄ではいかない。

 「映画だとまず撮影して、後から編集をしてお客さまに届けるけど、舞台の芝居は稽古しながら編集もする、という感じで進めるんで、普段の時間軸とは違いましたね。だから稽古が終わって家に帰ると、ドドッと疲れが出るんですよ!」

 原作、演劇ファンはもちろん、初めて観劇する人でも楽しめるように、どう演出すべきかも難題だった。

 「演出の意図とお客さまの受け止め方にズレがあってはならないんです。とくにこの『銀河英雄伝説』ではね。僕の職業人としての器量が試される場でもありましたね」

 

 現在、64歳。情熱とチャレンジ精神は、みじんも衰えてはいないが、強いて挙げれば最近、酒量が減ってきたそうだ。

 「酒は弱くなっちゃいましたね。エネルギーを噴出しながら飲む若者にはかないませんよ」

 あるエピソードを明かした。自身が理事長を務めている日本映画監督協会に所属する若手監督たちに「お前ら、どうせ俺に変なあだ名とかつけてるんだろ」と問い詰めたところ、返ってきた答えは「“オヤジ”って呼んでます」。

 「“オヤジ”なんて呼ばれる年齢になったのかよって嫌になりましたね」

 豪快に笑いぼやきながらも、次世代への期待は熱い。

 「映画でいえばハリウッド並み、欧州並みの製作環境にしていきたいんですよ。30、40代の若い監督の作品が、世界のマーケットで普通に流通できるようにね。それが日本映画の真の強さになる、という思いが強いです」

 自らは大島監督の「不肖の弟子」と語っていたが。

 「酒を飲みながら議論していると『お前、大島監督に似てきたな』と言われることがあります。そんなにベッタリとお付き合いしてきたわけじゃないんですけどね」

 恩師から受け取ったバトンを継ぐための格闘でもある。 (ペン・磯西賢 カメラ・寺河内美奈)

 ■さい・よういち 映画監督、俳優。日本映画監督協会理事長。1949年7月6日生まれ、長野県佐久市出身。64歳。東京綜合写真専門学校中退後に映画界へ。助監督時代を経て83年「十階のモスキート」で劇場映画監督デビュー。「月はどっちに出ている」(93年)で53の映画賞を受賞。「血と骨」(04年)で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞。テレビのコメンテーターとしても活躍中。

 舞台「銀河英雄伝説 第四章 後篇 激突」は東京・青山劇場で3月2日まで上演中。




元の記事はこちら==>http://www.zakzak.co.jp/people/news/20140213/peo1402130740000-n1.htm

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